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大雪丸 (初代)

大雪丸(たいせつまる、Taisetsu Maru)は、国鉄の青函航路の車載客船。青函連絡船の大雪丸としては初代である。青函連絡船の復興のため、国鉄がGHQの許可を受けて建造した車載客船4隻のうちの1隻であり、洞爺丸型の第4船である。同型船には洞爺丸、羊蹄丸、摩周丸がある。概要1945年(昭和20年)7月14日のアメリカ軍の青函航路への空襲で無事だったのは、第七青函丸・第八青函丸のみであった。そのため、青函航路に元関釜航路の景福丸と壱岐丸、稚泊航路の宗谷丸を転属させ、さらに空襲により被災・沈没した元関釜航路の昌慶丸と徳寿丸についても浮揚、修理して就航させたが、輸送力不足は深刻であった。終戦後、新造貨物用連絡船(第十一青函丸、第十二青函丸、石狩丸に客室設備も設けられたが、新造船であるためか3隻とも「進駐軍(GHQ)専用船」に指定され、一般の旅客・貨物の利用は禁止されてしまった。1946年(昭和21年)夏、運輸省はGHQより青函航路に客貨連絡船4隻、貨物連絡船4隻、計8隻という大量の車両渡船建造の許可を取り付けることに成功した。この客貨連絡船のうち1隻が大雪丸である。大雪丸は1947年(昭和22年)3月26日に三菱重工業神戸造船所で起工し、1948年(昭和23年)10月25日竣工。同年11月27日に青函航路に就航する。戦前に建造された翔鳳丸型を設計の基本としていて、輸送力増強を図るため全長が8m延長されるとともに総トン数も3400トン級から3800トン級へと大型化されている。収容旅客数を増やすために船体舷側にある下部遊歩甲板に3等椅子席を設けた関係から、車両甲板の線路数をそれまでの3本から2本に減らさざるを得なかったため、車輌積載両数は翔鳳丸型のワム車25両に対して18両と減少している。青函航路での運航は1964年(昭和39年)に終了したが、海外へ売却後もカーフェリーとして活躍する。しかし、最後はクロアチア紛争の空爆で沈没した。沿革青函連絡船時代1947年(昭和22年)3月26日 - 三菱重工業神戸造船所にて起工。1948年(昭和23年)3月13日 - 進水。 10月25日 - 竣工。11月27日 - 国鉄青函連絡船として就航。1954年(昭和29年)9月26日 - 洞爺丸事故10:00 青森を出港。16:33 函館に到着。17:25 函館港内を漂流を始めたイタリア船籍の

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